“心”が通う話し合いとは◆人を聴く【サイエンズスクールでの学び】

ほっとする時間

こんにちは。
神戸シェアハウス和楽居(わらい)のいのじです。

今日のブログは長いよ!
鈴鹿のサイエンズスクールでの学びのシェア、
そして僕がサイエンズメソッドを学んで、どんなことを願っているか、について書いてます。

サイエンズメソッド・アズワン鈴鹿コミュニティとは?(学んでいる動機)

僕が、2017年秋から通い続けている
三重県鈴鹿市にあるアズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ。

  • 人が、本来の人間性に適った姿で、主体的で、自由にやれる社会の実践。社会実験の場。
  • 規則も命令も上司も責任もない。そんな職場。おふくろさん弁当&鈴鹿ファーム
  • お金の介在しない社会づくり

シェアハウス和楽居を運営する中で、
住人みんなが心地よく暮らすためには?
とずっとずっと試行錯誤する中で、

いのじ
ルールをどうするか?

一人一人、価値観が違う中で、ちょうどいい、心地良いルール作りをするにはどうしたらいい?

ルールを決めよう、とすればするほど、意見が分かれて決められなかったり、
決めたけどその通りしない人が出てきたり。

ルールを決める前よりも、人間関係がギスギスすることもあるんだな、、、

ルールよりも、話し合って、それぞれの気持ちを知っていくことが大切だ。

いのじ
話し合いをしよう。

話し合いに出てくれない人が現れる。

話し合いには出るけど、雰囲気が悪い。
本心から話してくれているような感じがしない。安心感が生まれない。

→ 話し合いに参加したくない。話したくない。という人の気持ちを尊重する。
ってどういうこと?

  • 一人一人の気持ちを尊重するとは?
  • それぞれ異なる意見を持つ人がいる場合にはどうするのか?

など、
僕なりに、必死に考え、試行錯誤をして、やってきた。
そして、それなりに充実はしていたのだけど、

大なり小なり人間関係に起因するトラブルや、誰かの我慢の上に成り立つ”表面的には調和している状態”
というのは絶えなかった。

そしてアズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ、の取り組みに触れ、
なんだか怪しい、という疑惑が少しずつ晴れ、
これは本当にすごいかもしれない。と関心が高まり、

このコミュニティが20年以上続いている、その核心部分、とも言える
“サイエンズメソッド”
について、自分自身学んでいきたいと思い、
年に2〜4回ペースで通い続けている。

アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティの紹介動画

【RadioActive Radio動画版】 ソーヤー海 & Diego G Oliveira アズワン鈴鹿コミュニティの世界

今回は、
人を聴くためのコース。

人と人が、なんでも思ったことを話し、聴き合い、
それぞれが本心からやりたいことを思い切りやれて、
お互いの個性を発揮して、
本当に幸せに暮らしていける。
それぞれのやりたい気持ちから、主体的に動くことで、
お互いが満たし、満たされていく。

そんな社会づくりへの第一歩を
家族、シェアハウス、そして地域社会、と
足元からやっていきたい。

そんな想いで鈴鹿にやってきた。

3泊4日のコースを通じて、

  • 聴くとは?
  • そもそも『言葉とは』どういったものか?
  • 人は、思ったことを言えるのか?
  • 『自分が聞いたこと』は『相手が言ったこと』と同じと言えるか?
  • 『自分が、聞いて、感じたこと』と『相手が、本当に伝えたかったこと』との関係性は?

様々な角度から、
“聞く” の実際について
“聞く”ことのメカニズム そして “人を聴く”こととの違い、について
知っていく。

そんな時間になった。

“聴く”とはどんなことか?

  1. 相手の”心・気持ち”が動く
  2. それを伝えるために、相手の知識や経験の中からもっとも”心”に近いかな、という表現の”言葉”を選ぶ
  3. それを”口”という感覚器官を通して、話す
  4. 自分は”音”という空気の振動を”耳”(聴覚)を通じて、捉え、認識する
  5. 自分が捉えたものに対して、自分の知識や経験から意味付け、解釈をする(自分なりの解釈でしかない)

僕の認識、としてはこんな感じかな。

相手が本当に伝えたいことは?

相手にも、自分にも”気持ち” がある。

相手が、本当に伝えたいことは、
言ってる本人がはっきり分かっている場合もあれば、
よく分かっていない場合もある。

例えば、

Aさん 腰が痛い。
Bさん じゃあ病院行けば? ●●病院がいいよ。
Aさん うーん、、そうやねー。

(Aさん 病院には行かず、しばらくしてから)
Aさん 腰が痛いな。
Bさん 病院行ってないの?
Aさん まだ行ってない。
Bさん 早く行けよ。
Aさん ・・・ (自分が言いたかったのはそういう事じゃなくって。)

みたいな会話。
Aさんは、腰の痛みをなんとかしたい、ということが伝えたくてその話をしたのか?

Aさんの”心” 聴いて欲しかったこと、は?
たとえば、仕事を頑張った。
腰をよく使う作業をして疲れてる。
家事を手伝ってほしいな、とか。
今日はゆっくりしたいな、とか。

なにか伝えたいことがあって、
別に病院を紹介してほしい訳ではない、みたいな場合もあるんじゃないか。

Bさんは、ただ、相手の”言葉”を聞いて、自分の頭に思い浮かんだことを言ってるだけ。

相手の”気持ち”には、全く関心が向いていない。

こんな会話、自分もよくしてるなー。

“言葉”の限界を知る

コース中、面白いエクササイズがあった。

エクササイズ1

「昼に食べたポークソテーを肉を全く食べたことのないベジタリアンの人に説明してください。
そしてホワイトボードに書いてください。」

4人の参加者の中で、
食感と、噛んだ時に油の滲み出る感じについて、僕以外の3人は

  • がんもを潰して固めたような感じ
  • 高野豆腐のような。密な感じ
  • 弾力がある。ガムのように噛むとよい

と表現をした。そして僕は、

  • やわらかい。ジューシー。いちごのように噛むと中からぶわっと味が染み出してくる。でも甘みではなく、豚肉独特の香り。

と表現をしていた。

僕の中では、自分の過去に食べたことのある豚肉と比較すると柔らかかったので、
“やわらかい” と表現していたことに気が付いた。
みんなと逆、とも言えるような表現をしていた。

これだと、説明を受けたベジタリアンの人が
え? どっちなん? 固いの? やわらかいの?
と戸惑うだろう。

エクササイズ2

「今から僕の言うこと6つのフレーズをよく聞いて、それぞれ何が頭の中に立ち上がったか、を観察してください。」

  1. 少し前
  2. よく晴れた日に
  3. 2匹の大きなクマが
  4. 1匹の小さなクジラを
  5. 食べているのを
  6. テレビで見た

—————

少し前 : 1〜2週間前? ここ数ヶ月? 

よく晴れた日に : 雲ひとつない青空。太陽が照りつけて暑そう。

2匹の大きなクマが : 森の中に自分がいるイメージ

1匹の小さなクジラを : あれ?! 違和感。クマが海辺にいるの? 夢の中の話? 冗談かな?(違和感を解消するために、自分の頭の中でつじつま合わせをしようとする感じ)

食べているのを : え?クマがクジラ食べるの?! どうなってんの?!

テレビで見た : ああ、テレビか。世界仰天ニュースみたいな番組かな?

—————

それぞれ、聞き手によって、頭に浮かぶイメージが一緒ではないことを知った。
“言葉” でのコミュニケーションの限界を感じた。

自分が”聞いて認識したこと”を正しいとして、相手の言いたいことが分かった感覚になる。

2つ目のエクササイズでは、
聞いている途中に違和感があると、頭の中で忙しくなる感覚があった。

  • え?! 2匹の大きなクマが、1匹の小さなクジラを、食べる?!
  • 大きなクマって、どんなサイズ?
  • 小さなクジラって、どんなサイズ?
  • クマ、ってクジラを食べるの?!

みたいに、自分の頭の中で、色々湧いてくる。

相手の話を聞き、相手の言いたいことが分かったつもりになっていたのが、
すっといかない(よく分からない)感じが出てくると、
なんだか確認したくなる感じ。

これは “相手の本当に伝えたいこと” に関心が向いている、と言えるのか?
相手の ”心” に関心がある、というよりは
自分の頭の中に湧いたイメージが、正しいのかどうか、証明したい。
相手の使った”言葉”の意味合いと、”自分が認識したこと”が一致しているかどうか、を確認したい。
ただそれだけ、、、

  • 僕は、一体、何を聞いているのか?
  • 一体何をやろうとしているのか?

相手が、なぜその話を伝えたい、と思ったのか?
テレビで見た1シーン、それをお題に出そう、と思うまでには、
そのテレビ番組の中でも、特に部分が印象に残った、
とか何かしらSさんの中での思い、気持ちがあったんだろう。
そこには全く関心が湧かない。

ただ、自分の頭に浮かんだ反応、に対して、
また自分で反応をしてあーだ、こーだ考えてる自分がいる。

普段の会話でも、ずっとそういうことをしてるんかな。

相手そのものに関心を向ける、とはどういうことか?

普段は、言葉を使ったコミュニケーションをベースにして、社会生活を送っていて、
たまに引っかかることはあれど、生活はできているので、
そこまで意識をしたことがないかもしれない。

本当にやりたいコミュニケーションってどんなだろう。

コース中、よく

“自分の娘や、娘の友達など、
小さな子を見ている時の自分の内面”

それに対して

“妻や、その他のみんな。
大人とやりとりしている時の自分の内面”

そこを比較して考える時があった。

娘には、いつも ”言葉” だけじゃなく、”気持ち”  “心の中がどうなってるか?” に関心が向いているのに、
なぜ大人とやりとりする時は、”言葉” ばかりに意識が向き、その言葉から連想した “自分の頭の中の反応”  に囚われてしまうんだろう?

2歳9ヶ月になる娘とのやりとり。

お団子と記念撮影

お団子と記念撮影

最近は徐々に言葉を通してのコミュニケーションが増えてきた、とは言え
いつも本人は何が伝えたいのか? どんなことを望んでいるか?
と、自分の五感すべてを使って、娘を見守っている。
何か自分にできることがあれば、できる限りサポートしたい。

たまに不機嫌になり、
駄々を捏ねても、かわいい、と感じる。

『今、どんなことを思って、プンプンしてるんかな?』

「たーたん、抱っこして!」
(娘は僕をたーたんと呼ぶ)

抱っこした瞬間に、すぐに下ろして!ママが良い!
みたいなことを表現しても、
『おもしろいなー。そうかそうか。そういう気持ちか。』

と、どんなことがあっても、僕自身が動じることはない。
(ほとんどない笑 たまにある?)

娘自身が、心も体も健康に、まっすぐにすくすく育ってほしい。
本当に幸せになってほしい。

そんなことをいつも一心に願っている。

————–

大人とのやりとり。

たとえば妻とのやりとりでも、
妻の苛立った様子を見聞きすると、

『俺だって言いたいことあるねん』
とか
『なんてひどいことを言うんや!』
とか、
なにかと反発したくなるような気持ちになる。
実際に言い返さない場合でも、心の中が穏やかではない、という状態に陥ることがある。

なんでだろう。

子どもへの眼差し。
妻への眼差し。

何が違うんだろう。

よくそんなことを考えた。

“相手の心”の中に、”自分” がいる。

そもそも言葉は、
人と人が、心の通ったやりとりをする上では
必要不可欠、と言えるだろうか。

うちの娘は、
元シェアメイトのスウェーデン人
エリザベスばぁばの事が大好きだ。

エリザベスは、
日本語がほとんど話せない。
うちの娘と会うと、いつも
“Hi! My sweety sweety pie!!”
などと言って、にこにこと笑いかけ、抱きしめてくれていた。

今でも、エリザベスにテレビ電話をすると、
うちの娘は嬉しそうにしている。

———-
海外旅行での僕自身の経験。

日本語が全く通じないアラブ人のおっちゃんが、僕にニコニコと微笑み、
“Oh, Honda? Nakata?”
と、知ってる日本人の名前を並べ、お茶を振舞ってくれた。

———–
自分の話の意味を理解してくれた、とか
言葉が通じなかった、とか
そういうことじゃなくって、

相手が、何か想い、
自分に対して、関心を向け、何かをしようとしてくれている。
そのことが嬉しいんじゃないかな。

大人だって、子供だって、
僕に、何かを伝えたくてコミュニケーションを取ろうとしてくれている。

相手の”心”の中に、僕がいる。
何を思って、僕に話しかけてくれたかな。
何を思って、僕に笑顔を向けてくれたかな。

そんなことを思うと、
人 っていう存在の数だけ、
心 があって、
心 と 心。それぞれの心の中で、何かの作用が起きて、
人がやり取りをしているんだな。

人の存在が急に、自分の中でカラフルで、美しく、温かく感じられるような。
じんわりと優しい気持ちになる。
そんな感覚が起きた。
(これも全部自分の頭の中のことなんやけど)

僕の願いはなんだろう?

娘はもちろんのこと、
妻、シェアメイト、地域のみんな、
まだ会ったことのない全世界の人すべて、
誰もが幸せに日々の暮らしを送っていてほしい。

誰かが苦しんでいたら、
きっとその誰かのそばにいる人も苦しいだろう。
その人の親、パートナー、親友。
またその人にも大切な人がいる。

大きな地球の上に立つ人類、生き物、すべてつながっている。
それが実際の世界だと思う。

自分一人で、”本当の幸せ”  “平和な心”  
が実現することなんてありえないんじゃないか。

自分の、こんな想い。願い。
それがはっきりすればするほどに、

もっと人の心に関心が沸くのだろうか。

日常から、
自分の願いを知っていくこと、
自分の”心”がどうなっているか、と目をやること、

そんな風に日常が変わっていくと、
きっと自然と人の”心”にもっと関心が沸くんじゃないかな。

『サイエンズメソッド』と『心の探求』を通して感じること

持続可能な社会づくりカレッジの様子

持続可能な社会づくりカレッジ 探求会の様子

サイエンズメソッド “探求の連続 答えのない世界”
日常から離れ、
じっくりと自分の内面を観る。

ファシリテーター(進行役)の人はいるけれど、
決して答えをくれる訳ではない。

ただただ、それぞれの参加者の内面、本当の願い、心の状態、
そこにフォーカスしやすいように見守ってくれる存在。

  • 「相手の発言が、どんな風に聞こえたの? 自分の中で、何が起きて、”言われた!”ってなったんだろうね?」
  • 「何を聞いてるんだろう? 相手のことを聞いてるんだろうか?」

ポツリポツリ、と
今のテーマで深めていきたいポイントに意識が向くよう、
言葉を投げかけてくれる。

“答え”を聞こう、とか
“ヒント”を教えてほしい!という気持ちで訪ねると、

「答えはないもんね。いのじさん自身の具体的な例で考えてみた方が、分かりやすいんじゃないかな?」
みたいな言葉が返ってくる。

僕は、この他では味わったことがないスタイルでの学び。
自分自身の具体例を通して、自分の心・内面を知っていく
”探求会” という方法が、とてもおもしろくて、
ハマってしまった。

手探りの連続で、
時間はかかるけれど、
僕にとっては、
日常への変化をもたらすのに最も効果がある学びの場、と感じるので
サイエンズスクールに通い続けている。

『知っていく』と『教えられた答えをやる』の違い

先生が言ってたから、答えはこうだ!

→ それを理解して、それをやれるようになるために頑張るぞ。

→ 数日間は、エネルギーに溢れ、良い感じ

→ いつのまにか、また前の自分に戻る。

→ また別の自己啓発のセミナーや本で、ノウハウを探す。

そんなことを僕自身、20代はずっとやってきたなー。

それなりの効果はあったかもしれないけど。

劇的に人生が変わった、
ずっと効果が持続して、成長し続けている、
というほどの根本的な変化は感じられなかった。

また頑張り続けないといけない感じもあって、疲れてしまった。

———

“探求会” という学びのスタイルでは、

みんなで輪になって、
それぞれが気付き合っていく。
一人一人が、自分を知り、自分の本当の願いを知っていく。
そして、自然と、その願いの実現に向けて歩んでいく。

そんな感覚がおもしろいし、着実な感じがしてる。

神戸で “人が満たされる社会づくり” を願う仲間を募集中!

神戸をベースにして、
本気でこれからの社会づくりを模索していきたい。

そんな願いを持った人を
僕は探してます。

和楽居のシェアハウスに暮らしている期間は、

  • サイエンズスクールでのコース参加費 50%は、サポートします。
  • 家族棟に暮らす方は 20% サポートします。

また、鈴鹿のアカデミー研修生として、
鈴鹿でじっくりと学び、その後神戸に帰ってきて、
共にコミュニティ創りをしたい、という想いで和楽居に来てくださる方には

  • 家賃を20%〜100%まで割引サポート
  • 給与のお支払い(家賃収入のシェア) : シェアハウスの世話役的な立場として、任せられる人

など考えています。

人の心を大切に、育ち合っていける生活の場、
一緒に創っていきたい!

でも一人じゃできないな。

ご興味のある方、ぜひお問い合わせくださーい!

ほっとする時間

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