『育児に専念。仕事をやってない。』と言い訳をしたくなる?
今日の自分を振り返って、 自分の行動と内面がどうなってたんやろう、と気になったことを探してみた。 たるみ大根まつりの打ち合わせの後、けんさんと結水荘に荷物を運びながらの会話。 いのじ 「ここ数日は、みきと小夏が風邪引いてたのもあって、ほぼずっと小夏といてました。 携帯やパソコンも朝イチの少しだけで、それ以外ほぼ事務仕事することもなく、それでも今のところはなんとかいけてるからまあいいんかなー、と。 小夏とべったり一緒におれるのも今だけやし貴重な時間やな、とも思うので。 恒例の新年餅つき大会も、今年はやりたい想いはあるけど、みきが体調的に不安な時に無理してやるほど優先することでもないかな、と思い、 みきの体調が調うまではとにかく やること を極限まで減らして家のことしてみようかと思います。餅つきは結水荘や空豆、星が丘でもやるから、遊びに行くのでも十分かなと思いまして。」 みたいなことを話した。 あれはいったい何が伝えたかったんだろう、と風呂に入りながら思い返した。 ⚫分かりやすいシェアハウス関連の仕事(リフォーム、ブログ、見学立ち会い、イベントetc) をしていないと、仕事やってへんと思われるんじゃないか。 という恐れみたいな意識 これは俺の中で結構強くある気がしている。 旅行に行く、とかなんとなくシェアメイトや仕事に絡む人には言いにくい。というのも、ここからきてるかも。 人から「仕事頑張ってるね」と言われたい。認められたい。みたいな。 口では 「子育ては、人生の一大イベントで、特に土台になる三歳までの間は、仕事よりもずっとずっと大切にしたい。」 「育児は、評価をされる事が少ないけれど、仕事よりも大変な部分もたくさんあって、 仕事よりも尊いもんや。」 くらいのことを言うたり、考えたりしているけれど、 自分の本当の深い部分では 仕事をしている自分 の方が社会的に認められて安心を得やすくて、 育児に専念している自分 となると、なんだか仕事をしていない言い訳をしなきゃいけない、 みたいな意識が湧いてくる。 これは一体なんだろう。 『仕事をしっかりやってる人が立派だ』 みたいな観念が頭の中にあるから、 仕事以外のことを精一杯やってる人や、 仕事をやってない人とのやりとりの中で、 もやっとすることが比較的多くある気がしている。 自分にとっての 仕事 とはなんなんだろう。 とっさに出てくるのは、 生活が回るだけのお金を稼ぐことかなー。 色々書いたけど、誰かを否定したり、こうあるべきだ、っていう事を言いたいわけじゃなくて、 自分の中にこういう考えがあるんだなー。縛られてる感じだなー、どっちかというとこういう不自由な考えにいたるこの社会で培われてきた社会通念やルール、縛りみたいなのからは離れていきたいなー、と思ってい感じ。 まあ、ここのところは深堀りすると長くなるので今日はこの辺でストップしときます。 この他には、 ⚫けんさんにはコーチングしてもらっていること、和楽居の食べられる庭計画、0円食堂、その他色々なことで関わっているので、現状の心境を伝えておきたい。 なんかそんな感じ。 聞いてもらいたい、 聞いてもらえるとなんか安心するんかなー。 けんさんは、いいお兄さん的な存在。 だいぶ甘えさせてもらってるなー、と思う。 いつもありがとうございまーす。 トップ画像は大根まつりのチラシに設定させていただきました。 大根まつり、めっちゃ面白くなりそうやで。 みんな遊びにきてほしいな。 では おやすみなさい。

