『美しいのが好き』なのか?『美しいから良い』のか。
紅葉していく桜の葉。 1枚として同じ色、形のものはないなー。 真っ赤になるまで色づくものもあれば、 黄色みがかっていく過程で枝から落ちたものもあります。 それぞれに違いがあるから美しいのかな、とも感じました。 2歳3ヶ月になる娘と、葉っぱを拾って並べてみました。 僕は真っ赤に色づいたものや、黄色一色のもの。あまり葉に穴が開いてなくて、形の整ったものを自然と選んでました。 娘は、茶色く枯れてパリパリになった葉っぱ2枚と、 たくさん穴の開いてる赤みがかった葉っぱを拾ってました。 すぐそばで、小学生低学年くらいの男の子たち5名で遊んでる会話が聞こえてきました。 「この木をキレイに飾ろう!」 「その葉っぱはいいなー!キレイなやつにしろよ。」 「こっちはいいで!これはだめ。」 「穴が空いてるのはいいで。色がキレイなやつ選べよ。」 などと、仕切ってる男の子が言うて、 他の子はその子の基準に合わせるために、 「これはどう?」 とか確認しながら葉っぱを集めてました。 人は、いつから、 ●こっちがいい ●こっちはだめ ●こちらの方がきれい ●こちらはきれいではない と、「良い」「悪い」という判断をしていくようになったんだろう。 自分で決めたルールに従って動いていくのかな。 滋賀にいるおばあちゃん(妻のお父さんのお姉さん)に会いに来て公園で遊ぶ中色々と考えていました。 この一週間、鈴鹿のサイエンズスクール 『人生を知るためのコース』 という合宿に参加して、 日常から離れ、自分の中でのモノの観方を知るための時間を過ごしてきました。 俺はこっちが好き。嫌い。したい。したくない。 という気持ちではなくって、 「これは良いこと」 「これは悪いこと」 「悪いことが起きた。なんとかしないと!」 「悪いことが起きないように、今これをやっておかないと!」 などなど、 自分の気持ちに沿って、 素直にやりたいことをやってる訳じゃないな。 ということが日常の中にたくさんあることが浮き彫りになる。 そんな一週間でした。 特に辛い訳でもなく、逃げ出したくなるようなことが何かがある訳でもないんです。 ただ、日々の暮らしの中で、 どの場面をとっても幸せ。 そんな毎日を家族で過ごしたいな。 そして、それが シェアハウス和楽居のみんなや、垂水の地域コミュニティの人たちにも拡がっていく。 大きな繋がりの中で、 満たし、満たされながら暮らしていく。 そんな中で、自分一人の心の状態は、大きい気がするなー。 ほんまに “幸せ” な瞬間瞬間を積み重ねていこう。 そう感じてないとしたら、何が起きてるのか。 そこを知っていきたいな。 今も結構いい感じやけど、 更にラクで、楽しく、人と自由にやり取りできるようになっていく予感がします。 そんなことを考えている、シェアハウス和楽居(わらい)の大家さん いのじでした。